2017-08

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大河ドラマに賤民が登場

 NHKの大河ドラマ、「篤姫」のあとは「天地人」。
 25日の第4回を見ていると、上杉謙信(阿部寛)に贈るために描かせた「洛中洛外図屏風」を、織田信長(吉川晃司)と豊臣秀吉(笹野高史)が見ているシーンが出てくるのだけれど、屏風の部分をアップにした4カットのうち、2カットに犬神人(いぬじにん)と節季候(せきぞろ)が出てきました。
 特に制作者は何か意図があって賤民を登場させたわけではないのでしょうが、京都の部落史の常連さんが出てきたので、なんかうれしかったですね。古くからの知り合いがテレビに出てきたみたいで。大河ドラマの見方としては、かなりマニアックですが。(^^)vまぁ、どのみち「洛中洛外図屏風」を映したら賤民だらけなのですが。
 ところで、『解放新聞』(広島版)2008年11月5日号を見ると、1面に「TBS(RCC)が差別放送」という見出しがおどっています。何事かと思ったら、「徳川埋蔵金」を扱ったバラエティ番組の1シーンで、古文書の中に「穢多」という文字が映っていたというのです。それがどうしたのかと思ったら、どうもしていなくて、「なんの脈絡もなく「穢多」の文字」を映したことが差別なのだそうな。何の悪意もなく「穢多」の文字が出てきても、全然差別じゃないではないですか。何とも思わずに出して、見た人が何とも思わない。それこそ、部落差別がなくなった時でしょう。告発した部落解放同盟広島県連の小森龍邦顧問(元中央本部書記長)は、よほど「穢多」の文字が嫌いみたいですが、「穢多」の文字で差別されてきたからといって、歴史的に存在したものをなかったことにはできませんよね。それに、穢多、宿…など、中世から近世にかけて存在した被差別グループの名称など、100を超えるかというぐらいあり、そのうち多くは現在まで被差別地域として存在しているわけで、それらすべてを文字としてテレビに登場させないことなど、無意味ですし、不可能でしょう。差別されたのは「穢多」だけだと思っているから、そんな無意味な要求が出てくるので、最近の部落史研究の発展を学習していたら、出てきようもない要求ですね。まったく、自己の勉強不足と部落第一主義を露呈していると言わなくてはなりません。
 りっぱな解放運動をしてくださいという贅沢はいいませんから、せめて余計なことをしないようにはしてもらえないもんでしょうか。まったく、トホホな運動があったもんだ。

スポンサーサイト

ノーベル賞秘話

 去年は、ノーベル賞受賞の件で、たいへんなフィーバーでした。私が所属する京都産業大学は、現役の教授である益川敏英先生が受賞したので、それはそれは大フィーバーでした。私などは担当外なので、単に喜んでいればいい気楽な立場でしたが、広報課や学長室の関係者は、それはそれはたいへんそうでした。受賞直後、学長室の事務室の前を通りがかったら、室内の数人みんなが受話器をとっていて、猫の手を借りたいどころか、タコの手も借りたそうでした。
 しかし、不思議な気がします。京都産業大学の職員手帳を見たら、もちろん私の研究室の電話番号が載っているのですが、そのページを裏返したら、ま裏に、ほとんど背中合わせに益川先生の名前と研究室の電話番号が載っています(「な」と「ま」だから近いわけなんです)。なんか、すご~い身近にノーベル賞学者がいるわけで、嬉しいような、自慢して歩きたいような。しかし、一方で、学部が違うので(理学部と文化学部)、普段はほとんどお見かけすることもなく、言葉を交わしたのも2、3回しかありません。まるで、遠い世界で起こっているような、縁遠い感じもします。
 毎年、ノーベル賞発表の日になると、学内にマスコミ関係の中継車などが数十台おしかけてくる恒例の風景も、これでお仕舞いかと思うと、少し寂しくもあります(毎回、受賞に至らず「力が及ばず申し訳ない」と謝っておられた益川先生は、これで一安心。別に「俺が取るから、取材に来い」と言っていた訳ではないので、益川先生にはいい迷惑だったでしょう。)。まぁ、益川先生の受賞が一件落着したので、この際、次はこの灘本が人権研究でノーベル平和賞でも狙いましょうか。ははは。(^^)v まぁ、ありえんな。そんなことが起こる確率より、小惑星が地球にぶつかって、人類が消滅する可能性のほうが高い…。
 それはともかく、ノーベル賞にまつわる素敵な話をつづった、伊東乾氏の「ノーベル講演を共著者に譲った南部博士―坂田、戸塚両博士の遺影と「原爆の光からクラゲの光へ」」『日経ビジネス オンライン』をご紹介します。
 伊東氏の述べられているように、今回受賞した日本人(日系)の4人の記念講演とそのエピソードは、なかなかすばらしいものです。戦争によって実現しなかったお父さんの夢を語った益川さん、自分の学説の自慢話をするのではなく、受賞に至った経過を説明し、師匠や共同研究者の業績を讃えた小林さん、廃墟となった長崎の被爆地をプレゼンテーションした下村さん、そして、受賞に漏れた共同研究者のイタリア人学者に授賞式での講演をさせるために仮病を使った(?)南部さん。こうしたことは、あまりニュースでは見られなかったのですが、インターネットの時代はありがたいものです。是非、伊東さんの文章と、文中にリンクが張ってあるそれぞれの演説を聴いてみてください。(回線状態が悪いのか、動画が少しカクカクするかもしれません)

※「ノーベル講演を共著者に譲った南部博士―坂田、戸塚両博士の遺影と「原爆の光からクラゲの光へ」」
    http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081226/181406/
    各受賞者の講演の動画には、この中にリンクが貼ってあります。

NHK BS1「こうしてベルリンの壁は崩壊した」再放送

 さる1月12日(土)にNHK 衛星第1放送で放映された、NHK BSドキュメンタリー「シリーズ証言でつづる現代史 こうしてベルリンの壁は崩壊した」(前)は、非常に興味深い内容でした。
 1989年11月9日は、ベルリンの壁が壊され、社会主義が文字通り物理的に崩壊していくさまを世界の人に知らしめた日ですが、その後、ベルリンの人たちは、議会と政府に対して地方都市ライプチヒを「英雄都市」と呼ぼうと決議しました。
 その理由は、壁崩壊の1ヶ月前の10月9日、ライプチヒの中心部を7万人の市民が埋め尽くし、いまだ国民を抑圧し続けていたホーネッカー議長を無血で失脚に追い込んだからです。ひょっとしたら、血の弾圧を受けるかもしれないという危険を冒して、市民、学生、牧師など多くの人が立ち上がり、その力によって、党の地方組織を動かし、中央の治安担当幹部をも動かしていったのです。このドキュメンタリーは、そのありさまを、当時のデモ参加者や党関係者などの生々しい証言で描いています。「ほう、こうやって無血革命を成し遂げたのか」と感心させられます。
 実は、録画ミスで後編を見損ない、地団駄を踏んでいたのですが、再放送されるのを見つけて、喜んでいるところです。未見の方はどうぞ。前編の再放送は、1月27日(日)BS1 午後7時10分~8時。後編は、同日午後8時10分~9時です。
 現代史に興味のある人、社会主義に関心のある人は必見です。民主主義の成熟度によって、革命にあり方は大きく変わるのだということを考えさせられます。とかく革命を呼号する人は、暴力革命を礼賛するけれども、無用の血を流すのは、政治的に未熟だからということがよくわかるドキュメンタリーです。
 余談ですが、あと2年足らずで社会主義崩壊から20年。今の大学生は、社会主義を同時代的に知りません。東西対立を皮膚感覚的に知らない学生に、「ソ連が…」みたいな話をしてもぽかんとしています。「昔々、あるところに…」と解説しないといけない。社会主義は遠くなりにけり。

※ 前編
   http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20080127/001/11-1910.html
※ 後編
   http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20080127/001/11-2010.html

草思社が民事再生法を申請

草思社が倒産! Yahoo!ニュースを何げなく読んでいて、思わず眠気が吹き飛んだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080109-00000068-zdn_n-sci
あの中堅どころの、話題の本の多い出版社が、倒産!
前々から、最近の出版業界の激烈な変化(書店の大量消滅、取次会社の倒産…)、雑誌の衰亡、紙メディアから電子メディアへの転換は、三月書房さんのメールマガジンや、さまざまな論者によって語られてきたが、ついにここまで来たかという感じ。別に、暗い未来が待っている訳ではないのだが、その過程で、戦国時代のような弱肉強食の一時代を通過すると思うと、あるいは出版業界全体の急激な崩壊、再編過程が訪れると思うと、ぞっとします。

※三月書房
   http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/
※三月書房販売速報(仮題)
   http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/hanbai-sokuhou/hanbaiso.htm#三月書房販売速報[みほん]
※三月記(仮題)
   http://3gatsu.seesaa.net/

苅部直「新・皇室制度論 伝統VS.批判の二極を超えて

 今日の『朝日新聞』朝刊(大阪本社版)に掲載された苅部直氏の「新・皇室制度論 伝統VS.批判の二極を超えて」は、興味深い内容でした。
 とくに、久野収氏に論及した次の意見には同感です。「どうも、皇室制度をめぐる議論は、二つの極に岐れてしまう傾きがある。それを日本人の伝統文化や宗教性と単純に結びつけて賞賛するか、あるいは、自由や平等の普遍的な価値に反するものとして、批判もしくは無視するか。たとえば久野のように、多文化社会の到来を歓迎するリベラルな立場から、皇室制度の新しい意義を考えるといった議論は、宙に浮いたようになってしまい、理解されにくい。」

«  | HOME |  »

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

灘本昌久へのメール

ここから直接メールを送れます

あなたの名前:
あなたのメールアドレス:
このメールの件名:
本文:

FC2カウンター

QRコード

このブログに、携帯からアクセスできます

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。