2008-04

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祝!メルマガ250号!

 『京都部落問題研究資料センター メールマガジン』が250号に達した。
 2002年4月25日創刊から6年。創刊当初は、定期刊行物・図書の情報を隔週で発信していたが、その後、49号(2004年4月2日)より人権関係のテレビ番組情報を隔週で出しはじめ、週刊となった。また、2004年10月21日号よりは、テレビ番組情報にGコードがつくようになった。このように、進化を続け、配信サービス「まぐまぐ」の『京都部落問題研究資料センター メールマガジン』ホームページによれば、最新号の配信数は539人とある。この種のメルマガとしては、多い数字と思う。
 楽天のような営利事業の販売用メールマガジンは毎日のように発刊しているが、非営利の学術的内容のメールマガジンで、週刊のメルマガは極めて少ない状態である。部落問題関係では、文句なくこの『京都部落問題研究資料センター メールマガジン』が全国トップの発行頻度であり、また内容も最も充実している。
 というか、そもそも、全国的研究機関の最も伝統ある部落問題研究所は、メルマガは発行しておらず、ホームページも「最新情報」が2007年10月27日の研究者集会の告示であるというほど、更新頻度は低い。部落解放同盟系の中心機関の部落解放・人権研究所も、たまにメールで更新情報が送られてくる程度である。また、もう少し人権全般をカバーしているサイトに対象をひろげても、ニューメディア人権機構の「ふらっとプレス」が週刊で肩を並べているのが目立っているぐらいであり、『京都部落問題研究資料センター メールマガジン』の充実振りが目立っている。
 しかも、他の研究機関はけっこう大勢の人数であるのにくらべ、京都部落問題研究資料センターは、たった一人の事務職員Hさんが、資料整理や講演会のテープおこし、通信の発行、利用者へのサービスなど、すべてを一人でやって、なお、ここまでの情報発信を続けているのは、驚異的である。テレビ情報も、創刊以来、1日の欠落もなく、つまり1年365日分を4年間欠けることなく配信し続けているという。その責任感、努力には敬服の他ない。(部落解放同盟が「松本治一郎賞」の候補を探しているのでしたら、ぜひそのトップにノミネートしておいていただきたい。こういう陰の努力にこそ感謝と敬意を払ってしかるべきと思う)
 これ以上の充実をお願いするのは贅沢というものであるが、今後とも、週刊のメルマガを永続させていっていただきたい。

※ 京都部落問題研究資料センター メールマガジン
http://archive.mag2.com/0000088471/index.html
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ブログ紹介 向井洋「その理由(わけ)・・・」

面白いブログがあると知らせてくださった方があり、せっせと読むうちに夜もふけて01:30になってしまいました(明日から新学期の授業が始まるというのに、朝起きられるか心配)。

部落解放同盟の中心地である大阪のそのまた中心支部である部落解放同盟日之出支部といえば、大賀正行さんはじめ、多くの著名な活動家を輩出してきた部落解放運動のメッカ。
そして、この地区出身で大阪府連書記長までつとめた向井正さんは、大阪の運動とは縁遠い私でも名前くらいはよく知っている有名人です。その向井さんの息子さんである向井洋さんが実名で書いているブログ=「その理由(わけ)・・・」。

このブログには、向井洋さんが、支部および地元の青少年指導員を辞めるにいたる顛末が、苦渋に満ちた筆致で書いてあります。中味についての当否を判断するだけの材料を私自身は持ち合わせていませんが、少なくとも向井氏が、部落差別をなくすための取組みを一生懸命やってきたこと、および現在の部落解放運動のありかたに大いなる危機感をいだいて、それを正そうとしたことは伝わってきます。

※ 向井洋「その理由(わけ)・・・」
http://blogs.yahoo.co.jp/reasons_hm

石井桃子さんと『ちびくろサンボ』

 4月2日、児童文学者の石井桃子さんがなくなられた。
 今さら紹介するまでもなく、日本の戦後児童文学、絵本の世界ではまず第一に指を折らなくてはならない人である。各新聞社、テレビが大きく取り上げるのは、もっともなことである。
 そして、私の個人的気持ちからいえば、なんといっても、絵本がまだステイタスのある出版社の仕事として認められていなかった時代に、「岩波の子どもの本」シリーズを企画し、その第1冊目の本として『ちびくろ・さんぼ』を世に送り出したのが、石井桃子さんだったことを忘れることができない。
 1988年12月に岩波書店が『ちびくろ・さんぼ』の絶版を決定した時に、石井桃子さんも、翻訳にあたった光吉夏弥さんも、相談は受けていなかったそうで、あまりよい気分ではなかっただろうと想像する。
 その後、1999年、私が『ちびくろサンボよすこやかによみがえれ』を刊行して、『ちびくろサンボ』を擁護したのだが、その時、石井さんは、版元の径書房にわざわざ電話をしてくださり、よくあそこまで調べられましたね、とじきじきにお褒めの言葉をくださったことが思い出される。
 ともあれ、私を含め戦後生まれの多くの人に、素晴らしい絵本・児童文学を与えて、本の面白さを教えてくださった石井桃子さんには、こころから感謝の言葉をささげたい。合掌。

以下は、径書房編集部編『「ちびくろサンボ」絶版を考える』(径書房、1990年、p.33)に私が書いた文章の引用である。
「子どものアイドル〃岩波書店は胸をはる………………………1953(昭和二十八年)
<岩波書店版の製作過程>
 岩波書店版の『ちびくろ・さんぼ』の製作過程については、月刊『絵本』の一九七三年五・六月号所載、光吉夏弥「岩波の子どもの本-その発刊のころのことども-」が詳しい。一九五三年九月半ばすぎ、岩波書店の嘱託だった石井桃子から、光吉に、岩波書店が絵本をはじめるという話がもちかけられた。光吉と石井は本の選定にかかり、一・二年生むけには『ちびくろ・さんぼ』『ふしぎなたいこ』『ねずみとおうさま』、三・四年生むけには『みんなの世界』『スザンナのお人形/ビロードうさぎ』『山のクリスマス』を出版することにきまった。岩波書店の絵本の第一号として、『ちびくろ・さんぼ』が出版されたのは、偶然ではなく、「『リトル・ブラック・サンボ』は日本ではまだちゃんとした本としてでたことがなかったので、これはぜひとも第一回にだしたかった」からだという。
 こうして、絵は光吉が戦前から持っていたアメリカのマクミラン社版のフランク・ドピアスのを使って岩波書店版『ちびくろ・さんぼ』ができた。「リトル・ブラック・サンボ」を「ちびくろ・さんぼ」と訳したのは当時岩波書店常務長田幹雄のアイデアで、「のらくろ」からの連想であったという。『ちびくろ・さんぼ』という「この題名と、ドピアスの動的な絵を採ったことが、サンボを日本の子どもたちのあいだにアイドル化させ、定着させたものだ」と光吉は胸をはる。
一九五三年十二月に刊行された『ちびくろ・さんぼ』は、子どもたちに好評を博し、一九八八年十二月絶版にされるまでに百二十万部以上が読まれる大ベストセラーになったのであった。」

※ 石井桃子さんの訃報
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804020363.html
http://www.asahi.com/culture/update/0403/TKY200804030197.html

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