2017-08

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京都市職員の不祥事について

 2月16日(土)の「人権交流京都市研究集会」について、集会の雰囲気は前回このブログで書いたとおりである。
 ところで、この集会で、最近の同和不祥事に関して、マスコミによる部落叩きだとか、行政の逆襲だとか、そういう種類の泣き言をいう発言者があった。しかも、運動の幹部の人たちが言うのだから困る。
 ここで、同和地区からの行政への優先採用(京都市の行政用語では「選考採用」。また、「優先採用」という言葉に運動は反発して「雇用促進」という言葉もある。しかし、京都市の場合、現業部門を100%部落から採用していた時期があるので、その時は「優先採用」どころか「排他的部落独占採用」だったのである。1970年代から1990年代前半ぐらいかな。)の問題を考えてみよう。
 古くは、全国水平社が起こる1920年代以前、行政が率先して就職差別をし、頑として部落から官吏に登用しない時代があった。大正時代ぐらいまで続いていたと思っていい。その後、1950年代敗戦後の日本が急速に復興して、民間部門に労働力が大量に吸収されるようになると、部落への就職差別がかえって顕在化した。高校を優秀な成績で出た部落の生徒が就職差別で満足に仕事を得られないケースも多々あったのだ。
 一例をあげれば、こんな話を聞いた。1960年代前半のこと、ある部落の高校生(仮にM氏としよう)が、同じ高校から部落出身でない数人の友だちとある会社(阪急電鉄だったと思う)の就職試験を受けた。担任の先生も友人たちも成績優秀だったM氏の合格を信じて疑わなかった。しかし、受けた生徒のうちM氏だけが不合格だった。M氏がいろいろと考えたところ、少し思い当たることがあった。面接担当の人は、さかんにM氏の住まいをこと細かに聞いていたというのだ。「あなたの家は、阪急××駅の近くですね。この辺ですか、あの辺ですか…。」そして、不思議な質問をしたというのだ。「あなたの家には古い井戸がありますか」。家に古い井戸のあったM氏は「はい、あります」と答えたが、それ以上のやりとりはなく、面接は終わった。M氏があとになってよく考えてみると、その部落は都市の混住地帯(部落出身とそうでない人が混在している)だったのだが、新しく入ってきた人たちの家には水道しかなく、昔から先祖代々住んでいる人の家には、昔からの井戸も残っている。すなわち、井戸のある家は部落民で、井戸のない家は新規来住者である。A氏は、ひょっとしたら、就職差別ではなかったのだろうかと言われたが、よく考えなくても就職差別だと思う。どんなに成績が良くても、そして、どんなに混住していようとも、草の根分けてでも部落民を排除する。部落差別の厳しかった時代の、差別する人たちの執念を感じさせる話である。M氏から私が直接聞いた話で、信憑性のある記憶だ。
 そうした時代の中で、1965年に同和対策審議会の答申、1969年に同和対策事業特別措置法が出されて、同和事業が進む中で、部落の中から、行政こそ積極的に部落民を雇用するべきであるという要求が出ても不思議ではない。日本に限らず、人種・民族差別のある多くの国では、就職差別を撤廃するために、公的部門が率先してマイノリティーを雇用している。そして、日本では同和事業先進地、部落解放運動の強い地域で、1970年代から1990年代にかけて、大量に行政(市役所など)に部落民が雇用されていったのである(はじめは主に、上下水道、清掃局、学校用務員、給食調理員などの現業部門が多かったが、後には事務職にも雇用された)。
 ここまでは、特に不都合はなかったように見える。そして、部落解放運動がもう少し高い志でこれらの人々を指導していたら、もう少し良い結果を生み出したかもしれない。しかし、私が考えるには、3つの欠陥(あげればもっと多いかもしれない)が、良い機会をだいなしにしてしまった。
 1つは、一時に急激に雇用し過ぎたことである。部落からの雇用が集中した役所の部門では、職場の多数、大多数を部落民が占めるようになった。つい10年20年前まで失業・半失業状態にいた人が、急に近代的な労働規律になじめると思うのは、過大な期待というものだろう。今から思えば、部落からの雇用者が、個々の職場で少数派にとどまるような人数と配置を考えるべきだった。
 2つめの欠陥は、行政と運動の力関係が、そのまま職場に持ち込まれたことである。今は、運動の力が弱って往年の勢いは見る影もないが、1970年代から90年代にかけては、行政に対して運動が巨大な影響力を行使した時代である。運動が行政に様々な施策を要求し、それが入れられないと「差別である!」として、常軌を逸した闘いを進めていた(もちろん、必要なものもあったが、時代が下るにつれて、ただの物取り運動の部分が多くを占めるようになった)。行政との交渉で、行政の管理職や上層部の人たちを怒鳴りつけている人たちが、日常の職場で上からの指示を甘くみるのは、火を見るよりも明らかである。そして、そうした下克上に対して、運動の幹部は是正に動くよりも、かえって運動にはプラスと思っていたふしがある。1980年代の後半に、大阪の運動の幹部から「大阪では、部落民の多い職場では、誰が上司かわからん」という話を聞いたので、当時から京都以外でも同じような状況だったのだろう。
 3つめは、行政への就職斡旋が、各地域の運動の支部長にとって、利権になってしまったことである。ある時期から、行政に就職できた人は、推薦のハンコをついてくれた自分の部落の支部長に礼金を渡すことが慣例になっていったというのだ。雇用促進の最後のころには(現在、「雇用促進」はなくなっていることになっている)、その相場は300万円ほどだったという。年間3人を役所に押し込めたら、支部長の手には1000万円近い礼金が来ることになる。それが毎年繰り返されたら、かなりの財をなすわけだ。はじめて聞いたときは、にわかには信じられなかったし、現在もこの金額は信じられないのだが、なにせ、この話をしてくれたのは、30年来の知り合いである京都市内の解放運動の幹部で、彼の父親は解放同盟支部長を長くつとめた人である。聞きもしない私に、わざわざぼやいてくれるのだから、ウソとは思えない。支部長たち全員がこの手の金を受け取っていたわけではないと思うが、彼の言うには、相当数の支部長が多かれ少なかれ受け取っていたそうである。こんなお金のやりとりをする人に、「部落差別をなくすため…」というような教育は期待しようもないことである(なお、この話は京都市内に限ってのことであり、他の市町村での実態はさだかではない)。
 本来は、こんなことになってはいけなかったはずである。部落民を就職から排除するのは差別である。自分たちは、機会さえあれば一般の人たちと同じように仕事をやりとげる意欲も能力もあるのだから、行政は率先して機会を与えろ! と要求して雇用されたのである。せめて、一般的な水準の労働をやりとげて、今まで差別してきた人たちに対して、事実でもってその非を悟らせねばならなかった。一般水準どころか、それを上回る働きを見せつけて、差別の不当を実感させねばならなかったはずである。ところが、この3~40年間の役所における部落民の働きぶりは、まったく逆のことを社会に印象付けているのである。「やはり、部落民は雇うべきではない。部落民を多数雇用したら、今の役所のように職場は崩壊してしまう」。
 雇用されてきた部落民の非行に、厳しい姿勢で指導した運動の幹部もあったのは事実である。私が学生時代に活動をともにしていた京都市K地区の幹部Y氏は、1980年代の前半、大学を卒業したばかりの私に、嘆息まじりに次のような話をしてくれた。K支部の推薦で学校用務員になった人物が、人気(ひとけ)のない職員室で盗みを働くようになった。その噂をききつけたY氏は、その男を呼びつけて、ギュウギュウに締め上げて犯行を自白させ、その場で辞表を書かせて公務員の職から放逐したのである。Y氏はこうも言った。「自覚のないやつらは、同和事業を自分らの特権のように思っている。自分たちは、家賃がこんなに安い、こんな施策を行政から受けている、というのを職場の同僚に自慢している馬鹿がおる。本当は、こんなものない時代にならなくてはいけないのに。喜んでいてどうするんだ」まことに、もっとも。こんな指導者が多数を占めていたら、今日の部落解放運動、同和行政の醜態はなかったに違いない。
 …と、ここまで書いていたら、NHKのニュースが流れてきた。京都市役所でまた不祥事。仕事をさぼってパチンコなどを繰り返していた京都市上下水道局統括主事(56)が懲戒免職になったそうだ。そして、毎日放送のVOICEも職場を放棄して自宅へ帰る様子を報じていた。映ったのは見慣れた風景。学生時代活動を共にしたK部落の方向である。NHKが実名報道していたが、名前にもちょっと思い当たることがある。確かめてみようと、電話の受話器をとり、上記のY氏の家の番号を押す。「ピッ、ポッ、パッ…」しかし、最後の1ボタンがどうしても押せずに、電話を切った。どの道、Y氏の耳にも事件のことがはいるだろう。そして、どんなに情けない思いをするだろうか。それを想像しただけで、手がとまった。それに、運動も引退し、仕事も定年で辞めて静かに生活しているY氏に、今さらこんなこと聞かせられない。
 しかし、現役の人間は、必ずこの不正常な事態を是正して、部落差別解消に水をさす人々を一掃しなくてはいけない。よく、運動の幹部が、雇った部落民を教育してこなかった行政にも責任がある、などという。冗談じゃない、そんなことに時間をかけるのは経費の無駄である。一人前の大人に、「朝は早く起きて、遅刻をしないようにしましょう」「仕事はさぼってはいけません。まじめに勤めを果たしましょう」などと教育する必要はない。もっと早くから、不良職員を処分しておけばよかったのである。1980年代後半には、「粗悪な職員の5人でも10人でも首を切ったら、スカッと緊張感ができるのに」と話していた覚えがある。善悪の区別に被差別割り引きなし。そのことが徹底していれば、ここまで事態が悪化することはなかったはずである。部落解放運動の指導者・幹部を自認する人は、「なぜ部落ばかりが悪者にされる」などというピントはずれの泣き言をいっている暇があったら、自ら綱紀粛正に乗り出すべきである。
(蛇足ではあるが、もちろん、不祥事職員の処分が冤罪では困る。私も、行政による処分が、勢いでやられたのでは問題だとは思う。あくまで、公正な調査に基づき誰が見ても明白な、ぐうの音も出ないぐらいに証拠を固めて、処分すべきである。そのためには、尾行でも録音でも、やれることは徹底的にやってもらいたい。)
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