2017-10

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石井桃子さんと『ちびくろサンボ』

 4月2日、児童文学者の石井桃子さんがなくなられた。
 今さら紹介するまでもなく、日本の戦後児童文学、絵本の世界ではまず第一に指を折らなくてはならない人である。各新聞社、テレビが大きく取り上げるのは、もっともなことである。
 そして、私の個人的気持ちからいえば、なんといっても、絵本がまだステイタスのある出版社の仕事として認められていなかった時代に、「岩波の子どもの本」シリーズを企画し、その第1冊目の本として『ちびくろ・さんぼ』を世に送り出したのが、石井桃子さんだったことを忘れることができない。
 1988年12月に岩波書店が『ちびくろ・さんぼ』の絶版を決定した時に、石井桃子さんも、翻訳にあたった光吉夏弥さんも、相談は受けていなかったそうで、あまりよい気分ではなかっただろうと想像する。
 その後、1999年、私が『ちびくろサンボよすこやかによみがえれ』を刊行して、『ちびくろサンボ』を擁護したのだが、その時、石井さんは、版元の径書房にわざわざ電話をしてくださり、よくあそこまで調べられましたね、とじきじきにお褒めの言葉をくださったことが思い出される。
 ともあれ、私を含め戦後生まれの多くの人に、素晴らしい絵本・児童文学を与えて、本の面白さを教えてくださった石井桃子さんには、こころから感謝の言葉をささげたい。合掌。

以下は、径書房編集部編『「ちびくろサンボ」絶版を考える』(径書房、1990年、p.33)に私が書いた文章の引用である。
「子どものアイドル〃岩波書店は胸をはる………………………1953(昭和二十八年)
<岩波書店版の製作過程>
 岩波書店版の『ちびくろ・さんぼ』の製作過程については、月刊『絵本』の一九七三年五・六月号所載、光吉夏弥「岩波の子どもの本-その発刊のころのことども-」が詳しい。一九五三年九月半ばすぎ、岩波書店の嘱託だった石井桃子から、光吉に、岩波書店が絵本をはじめるという話がもちかけられた。光吉と石井は本の選定にかかり、一・二年生むけには『ちびくろ・さんぼ』『ふしぎなたいこ』『ねずみとおうさま』、三・四年生むけには『みんなの世界』『スザンナのお人形/ビロードうさぎ』『山のクリスマス』を出版することにきまった。岩波書店の絵本の第一号として、『ちびくろ・さんぼ』が出版されたのは、偶然ではなく、「『リトル・ブラック・サンボ』は日本ではまだちゃんとした本としてでたことがなかったので、これはぜひとも第一回にだしたかった」からだという。
 こうして、絵は光吉が戦前から持っていたアメリカのマクミラン社版のフランク・ドピアスのを使って岩波書店版『ちびくろ・さんぼ』ができた。「リトル・ブラック・サンボ」を「ちびくろ・さんぼ」と訳したのは当時岩波書店常務長田幹雄のアイデアで、「のらくろ」からの連想であったという。『ちびくろ・さんぼ』という「この題名と、ドピアスの動的な絵を採ったことが、サンボを日本の子どもたちのあいだにアイドル化させ、定着させたものだ」と光吉は胸をはる。
一九五三年十二月に刊行された『ちびくろ・さんぼ』は、子どもたちに好評を博し、一九八八年十二月絶版にされるまでに百二十万部以上が読まれる大ベストセラーになったのであった。」

※ 石井桃子さんの訃報
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804020363.html
http://www.asahi.com/culture/update/0403/TKY200804030197.html

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