2017-06

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灘本昌久「部落解放の新しい道」

 以下の文章は、1年前の2008年1月に、ある新聞社の依頼で書いたものであるが、その後、ボツになったものとみえ、音沙汰がない。捨ててしまうのももったいないので、ここに掲載しておく。
 こういうケースは、私の場合、よくあるんです。頼まれたから書いたのに、掲載を拒否されたり、頼まれたから引き受けた講演が、あとで取り消しになったり。もう少し、部内で腹をくくってから依頼してもらいたいものです。

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灘本昌久「部落解放の新しい道」
 この二年間というもの、同和問題(部落問題)に関心があり、あるいはその解決を願う者にとっては、気の重い日々だった。東日本では、さほどではなかったようであるが、関西方面では、同和事業や部落解放運動「先進地」における醜聞が、繰り返し報道された。
 たとえば「飛鳥会問題」は、部落解放同盟の支部長が駐車場の使用料(年間数百万円)を着服していたばかりでなく、顧客獲得で学校教育現場に食い込みたかった銀行と持ちつ持たれつの関係をつくりながら、暴力団に数十億を融資させ、それが三十億円以上(一説によれば五十億以上)焦げ付いたというものである。また、奈良市では、市職員であった部落解放同盟の幹部が、十数年間にわたってほとんど仕事をせずに、市役所内を徘徊して談合や職務強要を重ね、妻の経営する建設会社に仕事を受注させた。
 今回明らかとなった不祥事の問題点は、こうしたことが引き起こされたこと自体もさることながら、それらの事象が長年多くの人に認識されていながら、放置されてきたことである。たとえば飛鳥会事件の小西邦彦氏は、一九八五年の暴力団抗争で射殺された組長に、愛人用のマンションを提供していたことが明らかとなり、事件後、部落解放同盟大阪府連の委員を辞任したと聞いていたが、よもや支部長として居座っていたとは、開いた口が塞がらない。便所の差別落書きでさえ、その施設管理者の責任を「差別体質」として厳しく追及してきた運動団体ならば、自らの「腐敗体質」として猛省・改善してもらわなければならない。
 また、同和地区住民を多く雇い入れ、就業保障してきた自治体における職場規律の紊乱も、昨日今日起こった問題ではない。私は、運動と行政の力関係がそのまま職場に持ち込まれることによる職場の混乱や不正行為が、いずれは世論の袋叩きに会って、同和問題への理解を訴えるどころではなくなると心から心配してきた。「特に悪質な職員五人ぐらいの首をばっさり切ればシャキッとするのに」と言わざるを得ない状況になったのが、一九八〇年代、かれこれ二〇年以上前のことである。
 かつて同和地区の生活は貧困で、教育の機会もあたえられず、そうした悲惨な生活実態が差別意識を助長していた時代があった。そこから今日の改善された状況にまでひっぱってきたのは、部落解放運動の大きな功績である。しかし、一九六〇年代末から本格的に開始された同和事業は高度経済成長とあいまって、差別問題解決の妨げになるような極端な貧困をなくしてきた。現在の同和地区にみられる貧困の多くは、差別とは無関係に存在しうる、日本社会全体に広がる貧困・格差の一端であり、部落問題として取り扱っても解決は不可能である。
 確かに、同和事業という経済的利益の獲得を期待されるようになった団体が、そこから足を抜くのは、部落解放運動でなくとも困難なことである。しかし、マスコミをにぎわした「最強の弱者」というべき得体のしれない人たちに食い込まれ、差別解消を犠牲にしてまで生き残ったとすれば、部落解放運動としては本末転倒であろう。
 今回、マスコミによって、問題点が明らかにされ、かつ世論の批判が冷静な範囲内にとどまっているのは幸いであった。この際、施策獲得を中心とする古い運動の路線を捨てることによって、組織が十分の一のサイズに縮小するとしても、新しい道を進むべきである。もし部落解放運動が、行政を主たる相手にした守旧的運動に固執するならば、今までの数十年間の先人の努力を食いつぶすことになり、ついには、「偽装弱者」の汚名さえ着て、消滅していくことになるだろう。
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『女性セブン』に村太郎さん

 1月6日(火)発売の『女性セブン』(2009.1.22号)に、先日「たかじんのそこまで言って委員会」に一緒に出演した村太郎さん関係の記事が出ていました。見開き2ページの短い記事です。見出しを拾っておくと「「反省!」の猿まわし師(47) 部落差別 テレビでカミングアウトへの道程 フジテレビ有名プロデューサー・栗原美和子さん(43)と結婚」。
 ここに載っている二人の写真は、自然体で、幸せそうないい感じです。

部落民なき部落解放運動

 2008年もいよいよ今日を残すのみ。2008年の部落解放運動を振り返ってみると、あまり前向きで明るい材料はなかったという思いが強い。
 とりわけ、「飛鳥会事件」以来(本当は「ハンナン事件」も一連のものと考えるべきであるが)の部落解放運動・同和行政をめぐる不祥事報道を受けて出された「部落解放運動への提言 一連の不祥事分析と部落解放運動の再生にむけて」(2007年12月12日)にもかかわらず、部落解放運動の自浄能力はまったく発揮されなかった。お先真っ暗である。
 ところで、2008年の部落解放運動を振り返って、忘れられないのは、不祥事に対する自浄能力の問題だけではなく、部落大衆の部落解放運動離れが顕著にすすんだことである。 さる12月4日、京都会館で開かれた「京都部落差別事件真相報告集会」(主催:部落解放・人権政策確立要求京都府実行委員会)に参加した。私は、部落解放運動に関わって、36年、京都で関わってからでも32年になるので、部落解放同盟員が参加していれば、だいたいどの方面からの参加者かはわかる。普通の集会であれば、名前のわかる人だけでも何十人かはいるのである。ところが、今回参加して驚いたのは、解放同盟員の姿がまったく見えないことである。参加約300名ぐらい(もう少しいたかな。かつてピーク時は2000人ぐらいだったと思うが)の人たちをぐるっと見渡しても、知り合いの同盟員がまったくいない。一瞬、開催にあたって実行委員会の中で意見の相違でもあり、解放同盟がボイコットしたかと思うぐらい、同盟員がいない。しかし、一応、雛壇には部落解放同盟京都府連の幹部が数名ならんでいるので、トラブルではなさそうだ。私は近眼なので、広い会場を見渡して、顔がすべてわかるわけではないのだが、参加の顔ぶれは、入社10~20年めの社員の研修会みたいな感じで、運動関係者はたぶん30人に満たなかっただろう。
 つまり、年に2回の大きな集会(冬の真相報告集会と、夏に総会がある)の参加者が、企業、宗教団体、教育関係者、労働組合で占められているということである。参加していた解放同盟の幹部諸氏が、なんだかバツの悪そうな顔をしていたのは、私の気のせいかな。少なくとも、私は、参加者に申し訳ないような恥ずかしいような気がして、冷や汗が出た。部落差別をなくそうという集会に部落民がいないとは、どういうことだ。
 しかし、よく考えてみれば、集会に参加しているのは、おおかたは、ちゃんと日当の出る=業務として来ている人ばかりである。かくいう私も、大学の人権センター室長として参加しているので、自由参加の一市民ではない。解放同盟員は、昔は公務員の職にある人が、職免(職務免除)で来ていたわけで、それができなくなった今、有給までとって来ようという人がいないのも、わからないわけではない。部落解放同盟員を動員しようと思えば、夕方にやるか、土日にやるかしかなく、その場合は、企業側は社員を休日出勤にさせなくてはいけないので、あまり歓迎されないことになる。しかも、解放同盟員に自主参加を呼びかけても、どれだけ来るかはお寒い状態だろう。
 こうして、部落解放運動は、共闘団体を頼るしかない状態にまで衰退したとみて間違いない。そして、どちらを取るかが今や問われている。少ない人数でも、自主的参加に期待するか、部落民のいない恥ずかしさに耐えて、平日に、共闘関係の動員に頼るか。私の考えるところでは、もう、これ以上、解放同盟が外部の動員に頼って、数の上でのバブル集会を続ける意味はないのでなないかと思う。このことについては、また機会を改めて書くつもりである。
 ついでに、集会内容にコメントしておけば、これがまた大問題である。後半の、「福岡県立花町連続差別ハガキ事件」の報告はまだしも(しかし、はるばる福岡から来てもらわなくては、事件と称するような差別の問題は、無くなったのかな)、前半の「朝日放送「ムーブ!」報道と取り組み」に至っては、何をかいわんや。同和事業・部落解放運動をめぐる不祥事報道に対して、自ら正さなくてはならないことを棚に上げて、報道番組のあらさがしに終始したもので、冒頭述べた「提言」を黙殺する内容であったことは、遺憾千万なことであった。朝日放送には、この不当な圧力に屈して謝罪などすることの無いようにお願いしておく。この点に関しては、稿を改めて書くつもりであるが、実に不愉快な集会だった。エセ同和行為の援護射撃につき合わされるなど、まったく御免こうむりたいところである。

お涙頂戴

 「たかじんのそこまで言って委員会」。無事、放送終了。
 村太郎さんのがんばりは、おおいに讃えます。村さんが、あの場に出てきて、あれだけのことを語るのは、なかなかたいへんだったでしょうし、番組終了後も、いろいろたいへんかもしれません。同情します。
 しかし、出だしは悪くなかったと思ったんですが、最後まで見ると、なんとも古臭いお涙頂戴の結末になりましたねぇ。「胸を張って生きて行ってください」だなんて。あんな暗い番組になったら、部落は差別されてもしかたがないな…。まぁ、参加することに意味がある、部落問題をテレビで取り上げたことだけでもいいとしましょうか。
 確かに、村太郎さんとしては、明るく語りようがないことは理解できます。猿回し自体が、地元山口では差別の対象で、やっと部落からなくなったと思ったら、村さんのお父さんが復活させて、地元部落からは猿回しを白眼視され、学校でも部落がマイナスの存在として扱われていたのだから。
 『アエラ』2008年11月3日号にこの番組のきっかけになった栗原美和子さんの『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舎、2008年10月)の話が載っています。タイトルは、「歴史とたたかう結婚 フジテレビ栗原美和子「夫は部落出身者」、猿まわし師村太郎の独白」。そこに、いろいろな経緯が書かれているのですが、特に気になるところは、p.17です。栗原さんが小説を書くにあたって、「太郎の最大の注文は、物語をハッピーエンドにしてほしくないというものだった。「いろいろあったけど幸せになれるんだ、では意味がないんだと思う。僕たちはたまたま幸せな結婚ができた。でもそこに至らない人たちはたくさんいる。それを問いかけるものにしてくれないか」」。というところです。実際の話は、お母さんが反対したといっても、比較的ハッピーエンドなのに、なんで小説に書くときには重い話にして、妊娠のうえ離婚するみたいな暗い結末にならなくてはいけないのか、まったく理解に苦しみます。差別を語るときは、重大深刻なものとして語らなくてはならないという、ルサンチマン型部落解放運動の悪しき影響でしょうかねぇ。この小説を書くことをすすめた幻冬舎社長の見城徹さんは、善意だったのかもしれませんが、結果的には相当の悪趣味といわなくてはなりません。そもそも、私自身はこの小説をあまり評価していないのです。そのことを先にこの番組づくりを請け負っている制作会社の担当者に言っておくべきでした。後悔先に立たず。
 差別の問題で、重要なことは、被差別の側の差別への向き合い方であることを、今まで20年間ぐらい、繰り返し繰り返し主張してきましたが、今回も、それを叫ばずにはいられません。被差別の側の物差し、価値観が、差別する文化の物差しのままでは、そして、被差別者の中で自分の存在がマイナスのままでは、差別は乗り越えられないと。
 「たかじん…」の前回のヒットが、今回のダブルプレーで台無しですね。まぁ、成功もあれば失敗もある。人生山あり、谷ありです。これからは、番組の構成や結末のもっていきかたに、よくよく警戒しておかなくてはいけないと思いました。

祝!メルマガ250号!

 『京都部落問題研究資料センター メールマガジン』が250号に達した。
 2002年4月25日創刊から6年。創刊当初は、定期刊行物・図書の情報を隔週で発信していたが、その後、49号(2004年4月2日)より人権関係のテレビ番組情報を隔週で出しはじめ、週刊となった。また、2004年10月21日号よりは、テレビ番組情報にGコードがつくようになった。このように、進化を続け、配信サービス「まぐまぐ」の『京都部落問題研究資料センター メールマガジン』ホームページによれば、最新号の配信数は539人とある。この種のメルマガとしては、多い数字と思う。
 楽天のような営利事業の販売用メールマガジンは毎日のように発刊しているが、非営利の学術的内容のメールマガジンで、週刊のメルマガは極めて少ない状態である。部落問題関係では、文句なくこの『京都部落問題研究資料センター メールマガジン』が全国トップの発行頻度であり、また内容も最も充実している。
 というか、そもそも、全国的研究機関の最も伝統ある部落問題研究所は、メルマガは発行しておらず、ホームページも「最新情報」が2007年10月27日の研究者集会の告示であるというほど、更新頻度は低い。部落解放同盟系の中心機関の部落解放・人権研究所も、たまにメールで更新情報が送られてくる程度である。また、もう少し人権全般をカバーしているサイトに対象をひろげても、ニューメディア人権機構の「ふらっとプレス」が週刊で肩を並べているのが目立っているぐらいであり、『京都部落問題研究資料センター メールマガジン』の充実振りが目立っている。
 しかも、他の研究機関はけっこう大勢の人数であるのにくらべ、京都部落問題研究資料センターは、たった一人の事務職員Hさんが、資料整理や講演会のテープおこし、通信の発行、利用者へのサービスなど、すべてを一人でやって、なお、ここまでの情報発信を続けているのは、驚異的である。テレビ情報も、創刊以来、1日の欠落もなく、つまり1年365日分を4年間欠けることなく配信し続けているという。その責任感、努力には敬服の他ない。(部落解放同盟が「松本治一郎賞」の候補を探しているのでしたら、ぜひそのトップにノミネートしておいていただきたい。こういう陰の努力にこそ感謝と敬意を払ってしかるべきと思う)
 これ以上の充実をお願いするのは贅沢というものであるが、今後とも、週刊のメルマガを永続させていっていただきたい。

※ 京都部落問題研究資料センター メールマガジン
http://archive.mag2.com/0000088471/index.html

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